smlbeme

意志のない日記

20220122

なんだか調子が悪くなったので念のためにもう一度検査を受けた。また陰性だった。2回も陰性だったらもうそれは陰性だと思うので、少し明るい気持ちになる。気持ちと身体はやっぱりリンクしているのか、どんどん体調はよくなった。

寝転びながらTwitterを眺めていると、ある人が須磨水族園を訪れて、平らになった土地にクレーンがたたずんでいる写真をアップしていた。アマゾン館が、もうぺちゃんこになっていて、いや、アマゾン館は地下にも場所があったはずだから、ぺちゃんこというのは違っているかもしれない。あの場所をどうして壊せるのだろう?という思いでしかないけれど、どうやって壊したのだろう、というのも気になってしまう。

「アマゾン館」のあのインディージョーンズみたいなロゴが大好きだったなぁ。その下にはこの建物は宝くじの収益でつくられました、みたいな金属の看板があったなぁ、あれは溶かして新しい何かに生まれ変わるのだろうか。建物は、地下の地面だったところが地上になるように、全てを掘って掘って壊してゆくのだろうか。あの分厚くゆがんだガラスをみしみしと壊す感覚はどのようなものなんだろう。葉っぱで装飾されたあの細い道とあの水槽も、ぱりぱりと割ってゆくのだろうか。いや、地下はそのまま埋めてしまってほしい。魚も、水も、そのまま、ポンペイの遺跡みたいに全部そのまま、土でもコンクリートでもなんでもいいから閉じ込めてほしい。現世の誰の目に触れなくてもいい、壊してほしくない。大きな化石みたいになって、何千年も後の人にアマゾン館の化石をみつけてほしい。

アマゾン館の話ばかりだけれど、私にとってのスマスイはアマゾン館だったとおもう。1回の入園(?)で、他の場所を挟みながら、最低でも3回は訪れた。何度も、最後にもう1回!とアマゾン館に入った。何度も訪れたなぁ、こうやって、記憶の中の建物になっていってしまうのか。

そうやって考えていると、「解体業者」の人たちの存在にとても興味が湧いてくる。彼らはただ仕事として解体を、淡々と行うのだろうけれど、その場所に思い出のある人はどんな気持ちで仕事をするのだろう、ここは解体しがいがあります!とか、この部分の解体が楽しい!とか、あるのだろうか。話をきいてみたいとおもった。


今のことしか考えられないし忘れっぽいからこそ、物でも人でも、今の自分がそれに触れていないと、自分の思考が割かれるパーセンテージは本当に、どんどん少なくなってゆく。逆に言うと、今、手の届く場所にいてくれる人たちのことをたくさん考えているし、その人たちが私に意識を向けてくれることが嬉しい。気分が落ち込んでいるときに電話をかけてくれる友人がいてくれて、ただ嬉しかった。ありがとう、といつも思っている。

夜になって、昨年お世話になった人からぽんと通知が来る。大きなバンの助手席に乗せてもらって、海沿いの広い道や高速道路を走った日々のことを思い出す。こそっと買ったマクドナルドのポテトは遠慮してしまってあまり食べられなかったこと、いつもは多く感じるビールの500ml缶を2本もごくごく飲んでしまったこと、しんとした車内に大きな音でFRESINOをかけたこと。赤い花びらが舞っていたあの日は夢みたいな時間だったし、本当に夢だったのかもしれないけれど、時々こうして思い出す日が来ると、私がどこへ行くべきなのか、どこへ行きたいのか、本当は自分がよくわかっているのだろうと、揺さぶられる気持ちになる。